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ギターとベースとVOCALOIDのつれづれづれづれ
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 あまり暗い話題は書きたくないのですが、私も弱い人間で、書かないと整理できないことが多々あります。スルーして頂くか、大目に見て下さると嬉しいです。

 前にも一度書きましたが、祖母が入院中です。最初の入院は2月頭。認知症が一気に進行しました。その後一度退院し、私の実家で介護しながらの生活をしましたが、1ヶ月ほどで再度入院、現在に至ります。

 18日の早朝、親から連絡がありました。祖母が危篤になったため、病院へ向かうというものでした。私は仕事中で昼まで抜けられず、「間に合わないかな」と思っていました。
 しかし数時間後、回復した旨の連絡が。仕事が終わって駆けつけると、祖母は意識を取り戻しており、会話もできました。念のために母が病院に泊まることになりましたが、とりあえずは休養を取るために実家に戻りました。その間、伯母が様子を見ていました。
 ところが我々が家に着いて一時間ほどで、またも祖母の症状が悪化。伯母からの連絡を受けて我々は病院へ急行しました。一日に二度目の昏睡状態で、なかなか回復の兆候が見られなかったため、皆が別れを覚悟しました。
 数時間後、祖母は生還しました。私たちは万が一に備えて、病院に泊まらせてもらいました。

 19日。母は私が眠っている間に帰っており、代わりに伯母が来てくれました。祖母は低空飛行ながら安定した状態でした。私は昼過ぎに自宅に戻り、眠りました。そして夕方、再度病院へ向かいました。祖母は少し回復しており、いつも通りの、認知症でかみ合わないおかしな会話をしていました。
 症状が安定しているので私は解放されました。そして行けなかったボーマス13を惜しんでえりゃーさんに生電話。いてもたってもいられなくなり、車を飛ばして東京で合流。ぐんまけんさんとラミアスさんもひっつかんで、都電荒川線の併用軌道に誤進入しつつ後部座席の2人を酔わせる会を敢行。ちなみに犠牲者はえりゃーさんとラミアスさん。ご愁傷様でした。じゃなかった、乱暴な運転ですいませんすいません。でも車内での会話がめちゃくちゃ楽しかったです。
 終電に乗るぐんまけんさんと別れて、3人でカラオケへ。疲れて眠っているラミアスさんを尻目に徹カラ。たいへんお疲れさまでした。

 20日。徹夜明けのヘロヘロ状態で実家へ帰る。高速道路に乗ると、眼前には朝日に輝く東京スカイツリー。BGMはえりゃーさんから頂いた新譜。後ろから商用バンが迫ってきたので先に行かせ、追跡しながら実家へ(やめなさい)。前夜の車内での会話が思い出されました。
 実家で仮眠を取って伯母を迎えに行き、病院まで送る。交代に、病院に泊まっていた母を乗せて実家へ。そしてまた眠り、夕方、母と共に出動。その間、祖母の体調に大きな変化はありませんでした。

 21日も、大きな変化はなく。今夜も泊まる母を残し、私は仕事に備えて帰ってきました。
 私は幼い頃、親戚の家であまり歓迎されていないような様子を子供ながらに感じ取っていたのですが、それは私の思いこみではなかったということを、母との会話の中で知りました。
 色々なことから守られて、しがらみに捕らわれることなく育ってきたということを知り、自分の脳天気さに呆れつつも、そうしてのびのびと育ててくれた周りの人々に感謝しなければならないと思いました。

 祖母が体調を崩したのは、ある条件によるものであることが分かりました。なので、その条件を成立させなければ、本当に力尽きるまで闘病生活は続くと思われます。その時がいつ来るのか分かりませんが、祖母を支えている母や親戚達の負担を、少しでも軽くするのが私の役目です。

 どこかで思っていました。みんなに楽になってほしいと。でも、そんな日は来て欲しくないと。
 だけど必ずその日は来る。それなら、苦しいけど、その日までを大切に過ごそうと思います。きっとみんなも、そう思っています。

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